長崎教区とは
長崎教堂は、京都にある本山本願寺の直属寺院であり、住職は第25代大谷光淳御門主です。
実際に長崎教堂の職務にあたるのは、本山より任命された主管です。
現在、諫早市新道町に建つ長崎教堂ですが、かつては長崎市内にその機能をおいていました。長崎市鍛冶屋町 大光寺に教務所が設置され本願寺派の拠点とされたのは明治のはじめです。
昭和18年には、長崎組深崇寺御門徒、山之内その氏の「長崎にお念仏の声が響くように」との思いにより、長崎市今町にあった土地建物が寄進され、そこに拠点を構えることになりました。 しかし、太平洋戦争のさなか昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下され、市全体が壊滅的な被害を受け、教務所建物も焼失してしまいます。戦後、教務所が諫早市の安勝寺、長崎市の大光寺、長崎市の山里町などを転々とする中、本願寺教堂建設の計画がなされます。そして昭和44年、ついに新たな教堂が現在地に本願寺長崎会館として建設されるに至り、教務所が移転されたのです。平成元年には、当時の大谷光照前門様に御出向賜り、「本願寺長崎会館設立20周年式典」を挙行。その折り、前門様から「教化伝道の拠点としての新たなる歩み」と共に「境内地の積極的な活用」を期するお言葉を頂戴しています。
教区の数々の教化活動に力を果たしたこの長崎会館は、平成13年4月、より利用しやすくするために建て替えられて現在の建物となりました。翌平成14年5月、当時の大谷光真御門主様御親修のもと、「本願寺長崎会館落成慶讃法要」が勤修されまた平成21年には名称を「本願寺長崎教堂」と変更し今に至っています。元号がかわった令和元年11月、本願寺長崎教堂が諫早市へ移転して50年の節目に、大谷光淳御門主様御親修のもと、「本願寺長崎教堂寺基移転50年記念法要」が勤修されました。
これまで幾度となく苦難を乗り越えて「仏法ひろまれ」との思いで御法義を伝えてこられた多くの先人たちのご苦労に感謝するとともに、お念仏のみ教えが次の世代に確かに伝わるよう長崎教区の仏法興隆の拠点であります。